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札幌高等裁判所 昭和50年(ネ)106号 判決 1979年4月27日

控訴人

岡田あや

右訴訟代理人

入江五郎

外五名

被控訴人

右代表者法務大臣

古井喜実

右指定代理人

中村勲

外八名

主文

本件控訴(当審で拡張された新たな請求を含む)を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し金四六万二八〇〇円及び内金二六〇〇円に対する昭和四一年六月一日から、内金五二〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金五二〇〇円に対する昭和四二年二月一日から、内金六〇〇〇円に対する同年六月一日から、内金六〇〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金六〇〇〇円に対する昭和四三年二月一日から、内金六四〇〇円に対する同年六月一日から、内金六四〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金六七〇〇円に対する昭和四四年二月一日から、内金六八〇〇円に対する同年六月一日から、内金六八〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金七一〇〇円に対する昭和四五年二月一日から、内金七二〇〇円に対する同年六月一日から、内金七二〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金七八〇〇円に対する昭和四六年二月一日から、内金八〇〇〇円に対する同年六月一日から、内金八〇〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金八六〇〇円に対する昭和四八年二月一日から、内金九二〇〇円に対する同年六月一日から、内金九二〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金一万二二〇〇円に対する昭和四八年二月一日から、内金一万三二〇〇円に対する同年六月一日から、内金一万三二〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金一万八三〇〇円に対する昭和四九年二月一日から、内金二万円に対する同年六月一日から、内金二万七五〇〇円に対する同年一〇月一日から、内金二万二五〇〇円に対する昭和五〇年二月一日から、内金三万円に対する同年六月一日から、内金三万円に対する同年一〇月一日から、内金四万三五〇〇円に対する昭和五一年二月一日から、内金四万八〇〇〇円に対する同年六月一日から、内金四万八〇〇〇円に対する同年一〇月一日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  右2項について仮執行宣言。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴(当審で拡張された新たな請求を含む)はこれを棄却する。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行宣言。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張は、別紙記載のとおりである。

第三  証拠関係<省略>

理由

第一控訴人の地位及び控訴人に対し老齢福祉年金支給停止処分がなされた経緯とその根拠について

一控訴人が明治二九年二月三日生まれの日本国内に住所を有する日本国民であり、満七〇才に達した昭和四一年二月三日に国民年金法(昭和三四年法律第一四一号。但し以下単に「国民年金法」というときは、前後の文脈上、別異に解すべきことの明らかな場合のほか、昭和四一年法律第六七号号による改正前のそれをいい、また、単に「 条」というときは、前後の文脈上、別異に解すべきことの明らかな場合のほか、国民年金法のそれをいう。)八〇条二項本文の規定により、同法七九条の二の老齢福祉年金(以下同法八〇条一項及び二項本文の規定による同法七九条の二の老齢福祉年金を一括して「国民年金法八〇条の老齢福祉年金」ということがある。)の受給権を取得したこと、控訴人は同年同月四日北海道知事に対し、老齢福祉年金受給権の裁定を申請したところ、北海道知事は同年同月二五日控訴人に対し、昭和四一年三月分以降老齢福祉年金(当時その年金額は同法七九条の二第三項により、一万五六〇〇円と定められていた。)の受給権者であることを裁定したが、当時控訴人は、その主張のような事情(別紙請求原因1の(三)の(1)、(2)前段(但し岡田留太郎が廃人同様の余生を送つたとの点を除く。)(3)、(4)に摘示の事情)により、恩給法(大正一二年法律第四八号。但し以下「恩給法」というときは、前後の文脈上、別異に解すべきことの明らかな場合のほか、昭和四一年法律第一二一号による改正前のそれをいう。)七三条、七五条一項三号に基づく扶助料として年額八万一一五四円のいわゆる増加非公死扶助料を受給していたので、北海道知事は、これを理由として、右同日付で、控訴人に対し老齢福祉年金の支給を停止する旨の処分(以下「本件支給停止処分」という。)をしたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二国民年金法七九条の二第六項、六五条一項一号によれば、「老齢福祉年金の受給権者が公的年金給付(五条二項所定の公的年金給付に労働者災害補償法の規定による年金給付を含めたもの。以下同様とする。なお、以下において「公的年金」というときは公的年金給付にかかる年金をいう。)を受けることができるときは、その該当する期間、老齢福祉年金の支給を停止する。」ことになり、これが原則であるが、同法七九条の二第六項、六五条三項によれば、右の例外として、「老齢福祉年金の額及び公的年金給付の額がいずれも二万四〇〇〇円未満であるときは右の原則は適用しない。但しこれらの額を合算した額が二万四〇〇〇円をこえるときは、老齢福祉年金のうちそのこえる額に相当する部分についてはこの限りでない。」ということになる。しかし、老齢福祉年金の額は、前述のとおり一万五六〇〇円と法定され、二万四〇〇〇円未満であるから、右例外は「公的年金給付の額が二万四〇〇〇円未満であるときは右の原則は適用しない。但し老齢福祉年金の額と公的年金給付の額を合算した額が二万四〇〇〇円をこえるときは、老齢福祉年金のうちそのこえる額に相当する部分についてはこの限りでない。」ということになる。そこで右原則と例外とを総合すれば、「老齢福祉年金受給権者が二万四〇〇〇円以上の公的年金給付を受けることができるときは老齢福祉年金の支給を停止する。」と解することができるが、これは七九条の二第六項、六五条一項一号、三項によるものである(以下右の解釈を可能にする限りでの、七九条の二第六項、六五条一項一号、三項を「一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定」ということにする。)。

また、国民年金法八〇条一項又は二項本文の規定における、同法七九条の二の老齢福祉年金を支給する旨の文言の中には、同法八〇条の一項又は二項本文の規定によつて支給される老齢福祉年金についても、同法七九条の二第二項以下の規定が当然に適用される趣旨を含むものであることはいうまでもない。

三そこで一及び二に判示したところによれば、北海道知事のした本件支給停止処分は、国民年金法八〇条二項本文、七九条の二第六項、六五条一項一号、三項(一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定)によつたものと認めるのが相当である。本件支給停止処分が同法八〇条二項本文、七九条の二第六項、六五条一項一号のみによつたものとみるのは相当でない。

第二本件支給停止処分の無効事由について

一控訴人は、老齢福祉年金の受給権者が他の公的年金給付を受けることができるときには、原則として老齢福祉年金の支給を停止する旨定めた国民年金法七九条の二第六項及びこれが準用する限りにおいての同法六五条一項は、憲法二五条一項に違反して無効である旨主張する。これは、要するに、本件支給停止処分の根拠となつた一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定の憲法二五条一項違反を主張するものと認められるので、これについて判断する。

1  先ず、憲法二五条一項の保障するいわゆる生存権とはいかなる権利であるかについて考察してみる。

憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定し、同条二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に務めなければならない。」と規定している。この一項の規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであり、右二項の規定は、国民の生活を一定水準に確保すると共にその向上を図るために国が実施すべき施策のうち重要な事柄を列記し、国がこれらの施策を実施するよう努力する責務を負うものであることを明らかにしたものであるということができるが、憲法二五条が、その二項のほかに、わざわざその一項を規定していることから考えても、またそもそも国家による国民の生存権保障の思想は、近代における資本主義経済のめざましい発展に伴つて、国民相互間における貧富の隔差が次第に拡大し、少数の富める者と多数の貧しい者とが生ずるに至つた社会事情を背景として、国民全体の連帯責任において、国民の中の経済的弱者に対して「人間らしい生活」を保障すべきであるという理念として歴史的に形成されてきたものであり、わが国においても、戦後の急速な個人主義思想の普及と家族制度の崩壊により、労働能力を失つた老後、子らからの十分な扶養は必ずしも期待し難いという現象が次第に一般化するにつれてその意味内容の重要性が一層加わるに至つたものであつて、憲法二五条一項の保障する国民の生存権もまた右のような生存権思想を憲法規範に高めたものと解するのが相当であることから考えても、はたまた、憲法が個人の尊厳を基調とする基本的人権の保障をもつて、その最も重要な基本原理の一つとし、憲法二五条一項による生存権保障はその重要な一環をなしているものであることから考えても、憲法二五条一項をもつて唯単に、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国家の政治的責務として宣言したにすぎないものとか、あるいは唯単に特定の立法指針を示したにすぎないものと解することはできない。しかしながら、国が憲法二五条一項によつて国民に対して健康で文化的な最低限度の生活を保障するとはいつても、代表民主制を採る憲法のもとにおいて、国民が国に対して、直接に、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な特定の立法をなすべきことを要求する権利を有するものと解し得ないことは固より、憲法が、個人の尊厳と私有財産権を保障することにより、わが国が基本的に資本主義経済体制をとることを前提とし、国が国民の経済生活のあらゆる部門を完全に統制する構造は採つていないことからすれば、国民が憲法二五条一項を根拠として国に対して健康で文化的な最低限度の生活を営むための、積極的な行為や給付を要求することのできる具体的な権利を有するものと解することはできない。

以上考察したところによれば、憲法二五条一項により、国は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべき責務を負うということの中には、国は、国民に対し、右のような責務を、その履行を法的に強制されることはないところの法的義務として負うという趣旨を包含するものと解するのが相当であり、従つて、憲法二五条一項による国民の権利は、国の右の法的義務に対応した内容のものということになる。なお、憲法二五条一項でいう健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な概念であつて、その具体的内容は、経済、文化の発達の程度によつて異なると共にその進展に伴つて向上するものであり、その意味で相対的なものであり、憲法二五条二項は、右のような同条一項の趣旨を具体化し、強化したものと解するのが相当である。

2  ところで、憲法二五条二項に基づく一定の立法によつて国民に実定法上の一定の権利が与えられた場合に、仮令、その権利の内容が、憲法二五条一項にいう健康で文化的な最低限度の生活を営むために不十分なものであるとしても、具体的事件において、当事者たる国民が当該立法が憲法二五条に違反して無効であると主張することは、法的には無意味なものとして許されないものと解せざるを得ない。けだし右の場合に、仮りに当該立法が違憲、無効であるとしても、前述のとおり、国民が国に対して憲法二五条一項を根拠として、直接に、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要な特定の立法をなすことを要求する権利を有しないものである以上、当該立法によつては国民に実定法上の権利がなにも与えられなかつたことに帰するだけであつて、当事者たる国民にとつて右のような主張をすることは、法的には、利益を欠くからである。尤も、右の場合、具体的事件における、国民の、当該立法についての憲法二五条一項違反の主張の趣旨は、当該立法によつて与えられた実定法上の権利よりも、もつと利益の大きい権利を国民に与えるような立法を国会がしないことをもつて違憲とするに在る場合もあるであろうが、かかる主張も立ち得ない。けだし、国会がある特定の立法をしないことが違憲とされるのは、国会が当該立法をすべきことが憲法上明文をもつて規定されている場合か若しくはそれが憲法解釈上明白な場合に限られるものと解すべきところ、国が憲法二五条一項によつて国民に対して負うところの法的義務は、前述のとおり、その内容においてもその性質においても抽象的なものであつて、特定の具体的な立法をなすべき義務はないからである。これを要するに、憲法二五条二項に基づく一定の立法によつて国民に実定法上の一定の権利が与えられた場合、具体的訴訟事件において、当該立法を憲法二五条一項違反とする余地はないものといわざるを得ない。

しかしながら、国が憲法二五条一項により国民に対して、前述のような法的義務を負うものと解する以上、もし国の立法府としての国会がこの義務に違反して国民の健康で文化的な最低限度の生活を不可能ならしめるような立法をした場合には、その立法は憲法二五条一項に違反して無効なものといわなければならない。のみならず、憲法二五条二項に基づく立法によつて一旦実現した国民の実定法上の権利(それは憲法二五条一項の生存権を法律によつて実質化、具体化した、その現象形態ということもできるものである。なお、右の権利は必ずしも即時履行を求め得るものであることは要せず、条件付又は期限付のものであつてもよい。)を制限する立法を国会が全くの自由な裁量によつてなしうるものと解することはできない。即ち右のような立法をするか否か、これをするとして如何なる程度においてこれをするかについての国会の裁量については、憲法二五条一項による前述の、国の法的義務に由来する一定の制約があり、国会は、公共の福祉のため当該制限を必要とする合理的な理由(以下単に「合理的な理由」ということがある。)がなければ右のような制限立法をすることはできないものと解さざるを得ない。尤も、憲法二五条一項でいう健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な概念であつて、その具体的内容は、経済、文化の発達の程度によつて異なると共にその進展に伴つて向上するものであり、その意味で相対的なものであることは前述のとおりであり、憲法二五条二項に基づく立法による国の施策ないし給付の中には、現に生活に困窮している者を保護するためのものもあれば、一応一定水準の生活をしている者が生活困窮に陥らないようにするため、あるいは、多少ともその生活水準を向上させるためになされるものもあり、また、一旦実現した実定法上の権利といつても権利としての具体性の程度は異なり得るし、また当該立法がなされた後、それを制限する立法がなされるまでの期間が長い場合もあれば短い場合もあり、従つて憲法二五条二項による立法によつて一旦実現した国民の実定法上の権利を制限する立法をすることによつて既に右の権利を有していた者に生ずるおそれのある生活上の緊急状態には軽重の差があり得る。また、憲法二五条二項に基づく立法による国の施策ないし給付の中には保険料その他の形態による国民の側の出捐に対する反対給付たる性質を多少とも帯有するものもあれば、かかる性質を全く帯有しないものもある。それゆえ、憲法二五条二項に基づく立法によつて一旦実現した国民の実定法上の権利を制限する立法をするについての国会の裁量の幅については当然に広狭の差があるものといわなければならない。さきに、国会は、右のような制限立法をするには、公共の福祉のため当該制限を必要とする合理的な理由がなければならない、と述べたが、右のとおりであるから、たとえば、国会の右裁量権の幅が広い場合には、右の合理的理由は、一応のものであればたりることになる。

3  憲法は、国民主権の原則のもとに、国民の信託にかかる国権の三権のうち、立法権を国会に(四一条)、行政権を内閣に(六五条)、司法権を裁判所に(七六条一項)それぞれ独立に分属せしめ、互に他を抑制し均衡を保つように仕組んでいわゆる三権分立制を採つているのであるから、立法は国会の権限に属することはいうまでもなく、一般的にいつて、国会がある立法をするか否か、また立法をするとして何時如何なる内容の立法をするかは、その裁量によるものであり、国会は広範な政治的、社会的情勢をふまえて、政治的、政策的あるいは技術的な見地からその責任においてこれを決する権限と使命を有するのであるから、裁判所としては、憲法の採る三権分立の原則上、国会がある一定の立法をするか否かの、裁量的判断にみだりに介入すべきものではないことはいうまでもない。しかしながら、憲法上、国政は、国民の厳粛な信託に基づき、国民の代表者が行なうものであり(前文一項)、国民の基本的人権は、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で最大の尊重を必要とするものであり(一三条)、国会議員は憲法尊重擁護の義務を負つている(九九条)のであつて、これに憲法が国の最高法規である(九八条)ことを合わせ考えると、国会の立法権は全くの無制的な自由裁量に委ねられたものと解することはできず、あくまで憲法を頂点とする現行法秩序の許容する範囲内においてのみ自由裁量たりうるものといわなければならない。憲法八一条が裁判所にいわゆる違憲立法審査権を与えているのも、右のような理解を前提とするものであることはいうまでもない。

ところで、憲法二五条二項に基づく立法によつて一旦実現した国民の実定法上の権利(これは憲法二五条一項による生存権を法律によつて実質化、具体化した、その現象形態ということもできるものであることは前述のとおりである。)を制限する立法をするか否か、これをするとして如何なる程度においてこれをするかについての国会の裁量については、憲法二五条一項による前叙の国の法的義務に由来する一定の制約があることは前述のとおりであるが、仮令、国会の立法裁量についての制約であるにせよ、それが特定の憲法条文に由来するものである以上、裁判所は具体的訴訟事件において、立法府の裁量を尊重しながらも、なお、憲法八一条により、右のような立法における国会の裁量の当否を判断することによつてその憲法適合性を審査することができるものといわなければならない。

4  国民年金法が憲法二五条二項に基づく立法であることは同法一条の規定からも明白であり、従つて同法によつて所定の者に与えられる老齢福祉年金の受給権は、憲法二五条二項に基づく立法によるものであることはいうまでもないが、同法の制定ないしその後の改正経過(これについては後述する。)に徴すると、国民年金法八〇条一項所定の者は、同法の施行と同時に老齢福祉年金の受給権を取得したものであり、同法八〇条二項本文所定の者は同法の施行と同時に同人が満七〇歳に達することを条件として老齢福祉年金の受給権を取得したものであり、同法七九条の二第一項所定の者は昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部を改正する法律により新らたに同条が設けられ、右法律が施行されると同時に、その第一項所定の要件を充足し、かつその者が満七〇歳に達することを条件として老齢福祉年金の受給権を取得したものということができる。そして国民年金法上、老齢福祉年金の受給権を取得した者は、仮令、公的年金給付を受けることができるときであつても、同法八三条の規定により、都道府県知事に請求して右受給権の設定を受けることができるものである。以上によれば、国民年金法八〇条一項所定の者と同条二項本文所定の者とは同法の立法と同時に老齢福祉年金の受給権を無条件で又は条件付で実定法上の権利として取得したものであり、同法七九条の二第一項所定の者は、前記法律の施行と同時に老齢福祉年金の受給権を条件付で取得したものということができる。なお、昭和三八年法律第一五〇号によつて国民年金法八三条二項が削除される以前においては、同法同条同項により、同法八〇条一項又は二項本文所定の者は、仮令、老齢福祉年金の受給権を取得したとしても、その者が公的年金各法に基づく年金たる給付(昭和三六年法律第一六七号による改正前の国民年金法五条二項参照)を受けることができるときは、引き続きこれに該当する間、老齢福祉年金受給権の裁定請求をすることはできないものとされていたので、その場合、その者が果して老齢福祉年金の受給権を実定法上の権利として取得したものといい得るか否かについて疑問がないではなかつた。しかしこの疑問は前記の昭和三八年法律第一五〇号によつて国民年金法八三条二項が削除されたことによつて払拭された。

右のとおであるから、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定は、憲法二五条一項に基づく立法によつて実現された実定法上の権利としての老齢福祉年金の受給権を制限する規定に当たるものということができるものであり、従つて裁判所は、3で説示したところによつて、その憲法適合性判断をすることができるものといわなければならない。

なお、国民年金法の制定ないしその改正経過によれば、国民年金法によつて所定の者に老齢福祉年金の受給権を無条件に又は条件付に取得させる立法をしたのと老齢福祉年金の受給権者が一般の公的年金の給付を受けることができるときの老齢福祉年金の併給制限規定を立法したのとは、全く同時であつたことが明らかであるが、かかる立法経過から見る限り、右併給制限規定を立法をするに際しての立法府の有していた裁量権の幅は広大なものであつたといわざるを得ない。況んや老齢福祉年金の受給権を条件付で取得する者が条件成就の暁に適用されるものとしての右併給制限規定を立法するに際して立法府の有していた裁量権の幅は一層広大なものであつたといわざるを得ない(なお、以上のように見てみると、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定の立法とはいつてもそれを国民年金法のどの条項による老齢福祉年金についての支給制限とするのかによつて立法府の裁量幅には差があることになるが、以下において右併給制限規定の憲法適合性判断をするに当つては、それが国民年金法八〇条の老齢福祉年金についての支給制限であることを前提とし、また同法八〇条の老齢福祉年金の支給制限である限り、右併給制限規定立法上の立法府の裁量幅は同一であるという仮定に立つことにする。)。

5  そこで、進んで、国民年金法の老齢福祉年金、就中同法八〇条の老齢福祉年金は憲法二五条二項に基づく国の施策として基本的にどのような性格のものなのか、憲法二五条二項に基づく諸々の国の施策の中でそれはどのように位置づけられるのかを検討してみることにする。

(一) <証拠>によれば、国が憲法二五条一項の生存権保障の趣旨を具体的に実現するための施策として実施しているいわゆる社会保障制限には、大別して、ⅰ現に生活の困窮に陥つ者に対し、国が直接公的な負担において、健康で文化的な最低限度の生活を保障するいわゆる救貧施策としての生活保障と、ⅱ主として、疾病、死亡、老齢、失業その他生活困窮の原因に対し保険的方法又は直接公的な負担において、所得を保障するいわゆる防貧施策としての経済保障と、ⅲ傷病、出産等に伴う所得、医療費の保障と、ⅳ労働災害、失業等に伴う労災保障、失業保障との四部門があるものとされていることが認められるが、右ⅰの部門の社会保障制度として生活保護法による生活保護の制度がある。国民年金法による老齢福祉年金制度の基本的性格を明らかにするには、これを生活保護法による生活保護の制度とを比較対照し、両者の関係を明らかにすることが肝要と思料されるので、先ず生活保護法制定の沿革とその概要を見てみることにする。

戦後の昭和二一年(一九四六年)二月に、占領軍当局は、生活困窮者に対する国の責任として無差別平等保護の施策をとるべきことを明らかにした「社会救済に関する覚書」を出した。そこで、国は、その要求に基づいて、「生活困窮者緊急生活援護要綱」を立案し、昭和二一年九月生活保護法(昭和二一年法律第一七号、以下「旧生活保護法」という。)を制定した。しかし、昭和二二年に憲法が施行されるに伴い、同法二五条一項に規定する理念に基づき、国民に対し最低限度の生活を保障することを目的として、昭和二五年四月に新たに生活保護法が制定され、旧生活保護法が廃止された。ところで、生活保護法は、一条において、「この法律は、日本国憲法二十五条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」と規定し、また、三条において、「この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。」と規定する。これによれば、生活保護法における生活保護の制度は、憲法二五条一項の生存権保障の趣旨を直接具体的に実現する目的をもつて制定されたいわゆる救貧施策の制度であるということができる。従つて、生活保護は、生活困窮のため最低限度の生活を維持できない者であれば、その困窮に陥つた原因がどのようなものであるかに関係なく、また、人種、信条、性別、社会的身分、門地などによつて差別的取扱を受けることなく、平等に行わなければならないから、同法二条は、「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律の保護を無差別平等に受けることができる。」と規定しているが、他方、国家の責任の下で保護を受けるにあたつては、個人として先ず可能なあらゆる手段を活用して生活の維持に努めるのが前提要件であり、そうしてもなお不足ある場合に、はじめてその不足を補うものとして公的扶助を受けるというのが基本原理であるから、同法四条一項は、「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。」と規定し、また同条二項は、「民法に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先するものとする。」と規定し、いわゆる保護補足性の原則を明らかにしている。更に、同法八条一項は、保護の程度について、「保護は厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。」旨規定し、同条二項は、保護の基準について、「前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別、その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない。」と規定すると共に、同法九条は、「保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものとする。」と規定して、いわゆる必要即応の原理をとることを明らかにしている。なお、同法一一条によると、保護の種類には、生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、出産扶助、葬祭扶助があり、これらの扶助は要保護者の必要に応じて単給又は併給されるが、同法一二条によれば、生活扶助は困窮のため最低限度の生活を維持することができない者に対して、衣食その他日常生活の需要を満たすために必要なもの及び移送について行われるものとされている。

生活保護法の右のような規定からすると、生活保護法に基づく生活保護の制度は、資産、能力その他あらゆるものを活用しても、なお、生活に困窮する者に対し、その現在の生活需要を基とし、健康で文化的な最低限度の生活を保障しようとするものであつて、その保護の実施は、生活困窮の程度、態様に応じて具体的、個別的であり、具体的には、厚生大臣が、要護者の年齢別、性別、世帯構成別等の諸事情を考慮してあらかじめ一定の基準を定めておき、その一定基準に達していない者に対し、その不足分を金銭又は物品を給付して補うという原則を採り入れているものであることが明らかである。右のように、生活保護法による生活保護は、生活困窮者に対して具体的、個別的に最低限度の生活を保障することを目的とするものであるから、その保護を実施するに際しては、保護の実施機関は、個々の保護の申請に対して、保護の要否、種類、程度及び方法を決定することを必要とするが(同法二四条)、その認定を行うため、要保護者の資産・収入状況、健康状態、扶養義務者の資産・収入その他の事項を調査(いわゆるミーンズ・テスト)をすることができるものとされている(同法二八条、二九条)。

(二) 次に、わが国における国民年金制度の沿革を見てみることにする。

<証拠>を総合すると、次の(1)ないし(10)の各事実が認められる。

(1) 国民年金制度は、憲法二五条二項に規定する理念に基づき、老齢、廃疾又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国活生活の維持及び向上に寄与することを目的として(国民年金法一条参照)、昭和三四年に発足したものである。

(2) もともと、年金制度というものは、老齢、障害、死亡など国民が個々人では事前にこれを十分備えておくことが必ずしも容易ではない事故(老齢を事故というのは措辞として必ずしも妥当ではないが、叙述の便宜上このように称することにする。)によつて生活の安定がそこなわれるのを社会連帯の考え方に立つて公的に救済し、国民生活の安定を図ろうとする制度であるが、年金制度の構成や普及状況は、それぞれの国の経済社会の状況、発展や国民の意識などと密接にかかわりあいをもつており、各国ともその時代や経済社会事情に応じた年金制度を設けているのが実情である。

(3) わが国の公的な年金制度は、明治八年の海軍退隠令、翌九年の陸軍恩給令によるいわゆる軍人恩給制度にその渕源をみるが、明治一七年の官吏恩給令によつていわゆる文官に対する恩給制度も発足し、これらが大正一二年に恩給法に統一され、公務員(文官、軍人、教育職員、警察監獄職員、待遇職員)及びこれに準ずべき者(準文官、準軍人、準教育職員)並びにその遺族に対し恩給を給することになつた。また、鉄道、専売、印刷、逓信、造幣、営林などのいわゆる現業官庁に勤務する者に対しても、大正八年頃から恩給法にならつた年金制度を採り入れられたが、これらが旧国家公務員共済組合制度に承継され、更に、これは、前述の恩給法と合体して、各種の共済組合制度に発展してきたものである。他方、わが国の労働者に対する年金制度については、先ず、昭和一四年の船員保険法の制定によつて、海上勤務者に対する年金制度が実施されたのがその嚆矢であるが、昭和一六年に労働者年金保険法が制定されたことによつて、工場、鉱山等の一般労働者を対象とする年金制度も設けられ、更に、後者は昭和一九年厚生年金保険法と改称され、五人以上の事業所に勤務する労働者にも年金制度が拡大適用されることになつた。

そして、これらの年金制度は、原則としてその資金を被保険者が拠出し、一部を国庫が負担するという社会保険方式を採つていた。

(4) しかし、これらの年金制度は、いずれも一定の要件を具備した被用者のみに適用されるものであつて、農民、漁業者、自営商工業者、零細企業の労働者やすでに老齢に達した多数の国民がこれらの年金制度の適用からとり残されており、而もこれらとり残された者の中にわが国における貧困世帯(約三割が雰細農家、約一割が零細自営業者、約二割が低賃金労働者、約二割が就業形態不安定な日雇、あるいは家内労働者、残りの約二割は無業者その他の世帯)のほとんど大部分が含まれていた。ところが、戦後の在外邦人の引揚とこれに伴う出生の増加により、人口は、昭和二五年までに一〇〇〇万人以上も増加し、多くの失業者が発生し、人口問題が重要な社会問題となつた。国は、その対策として、先ず産業の振興による人口収容力の増大を図ると共に、家族計画の普及による人口増加の調整と海外への移民を進めることにしたが、過渡期に生ずる就業の不足に対しては、失業対策を拡充すると共に組織立てた社会保障的施策を行うことにした。また、昭和二七年頃には、戦後の結婚、出産ブームが収まり、人口出生率が急激に低下する一方、死亡率の画期的改善の結果によつて平均寿命が伸長し、人口老齢化の現象が現われ始めたが、戦争によつて資産を失つたまま、終戦後において老後に備えての資力を十分に回復することがないままに老齢を迎えてしまつた者は少くなかつた。のみならず、戦後の個人主義思想の滲透と民主主義に立脚した私法制度の改革、経済的諸事情の変化、特に資本主義経済のめざましい進展によつて主として都市で見られる労働者の増加、戦後の農地改革によつて主として農村で見られる自営小農の増加等が原因となつて、旧来の家族制度は崩壊し、私生活単位としての世帯は夫婦と未成年の子だけを構成員とするものが次第に一般化し、これに伴い、戦前であつたならば、労働能力を失つた後も、家族制度のもとでその子らと共に同じ家に住み、その子らの扶養を受け、しかも相応の尊敬を受けながらその子らと全く同水準の生活を維持して余生を安穏に送るということができた筈の老人が、その子らとは別居して而もその子らによる充分な扶養を必ずしも受けることができずに孤独な余生を送らざるを得ないという現象も決してめずらしいことではないようになつたため、これらの老人に対し社会保障制度を及ぼさなければならない必要が生れると共にこれらの老人の生活保障については、特に、社会連帯の考えに立つて、これに当らなければならないことが強調されるようになつた。

(5) 右のような社会情勢を背景に、昭和二六年には、全国社会福祉協議会が中心となつて、「としよりの日」の大会が催され、老人を救いたいとする提案と決議が、大きい社会的反響を及ぶとともに、昭和三〇年以降、「老人に不安のない晩年を」とのスローガンの下に、恩給や厚生年金制度の対象から外された人々のために、国民健康保険的な国民年金制度の創設を求める声が大きくなつた。他方、第二次大戦後の老人問題、年金制度の整備拡充は世界的傾向であり、殊に、第二次大戦直後イギリスで完成した「ゆりかごから墓場まで」の社会保障制度はわが国にも紹介され、社会保障制度を構想する際の指針とされたが、昭和三一年四月には、大分県をはじめとする四つの地方公共団体で、高齢者を対象とする敬老年金制度が実施され、その後それが急速に全国的に普及しはじめたことは、地方住民の敬老思想と年金制度に対する関心を高め、全国的な国民年金制度への気運を促すことになつた。

(6) 右のように老人保護に関する世論の盛りあがりが見られ、かつ昭和三一年四月には地方自治体で敬老年金制度が発足したことも反映して、国民皆年金制度創設の気運が生じてきたことは前記のとおりであるが、昭和三一年は、いわゆる「神武景気」として謳歌されたように、わが国の経済は急激に好況に転じ、インフレーシヨンなくして経済の拡大が実現したため、減税をしながらも国家予算が増大し、国民皆年金制度の創設準備に着手する条件が整つた。そこで、政府当局も国民年金制度の検討に着手し、昭和三一年一一月厚生省は、社会保障五ケ年計画試案を立案したが、これには「昭和三一年度から昭和三五年度に至る間に、医療保障の完成を目標とする外、今後の雇用状勢及び人口の老齢化傾向に鑑み、遅くとも最終年次実施を目標として老齢年金等老人対策を考究する必要がある。」と述べられ、国民年金制度の創設の実現に向う方向が明らかにされた。昭和三一年一二月には、鳩山内閣から石橋内閣への政権の交替が行われたが、新石橋内閣は、本格的に国民年金制度創設の準備に着手することを公言し、昭和三二年度予算案に、約一〇〇〇万円の国民年金制度創設準備費が計上された。そして、厚生大臣は、予算案の決定に伴い、昭和三二年から国民年金委員を設置し、昭和三四年度実施を目途として、制度創設の準備を進めることにし、昭和三二年四月には、全国的な規模において高齢者、身体障害者、長期罹病者、寡婦などの年金対象者を把握し、健康状態、稼働状況、扶養状況、社会保障給付状況など詳細な基礎調査を実施した。他方、アメリカ合衆国社会保障行政部・公衆衛生部を中心とする社会保障調査団の勧告によつて、社会保障に関する企画、政策決定、法律制定の面において勧告するために設置された社会保障制度審議会は、昭和二四年五月の第一回総会を開催して以来、国民年金制度の創設の必要を指摘していたが、年金制度の整備、改革に対する勧告は一向に実現する方向に向わず、一時年金問題は中断されていたが、昭和三二年五月一五日内閣総理大臣から「国民年金制度の基本方策」について諮問を受けたので、その後三〇回にも及ぶ年金特別委員会の審議を経て、昭和三三年六月に答申案を提出した。右審議会の答申は、低所得者を対象とし、拠出額を最低水準の階層に合わせながら、実質的に意味ある年金額を保障するという困難な問題を解決するため、ⅰ拠出制と無拠出制を構造的に組合せて、無拠出年金を恒久的な拠出年金のベースとしたこと、ⅱ老齢年金に重点を置き、障害年金、母子年金については支給範囲を絞つたこと、ⅲ経済成長を考慮して四〇年後までに年金額、拠出額を段階的に引き上げることにしたこと、ⅳ国庫負担額を大幅にしたこと等特色ある着想を盛り込んだものであつた。

(7) 一方、社会保障制度審議会における年金問題の本格的検討開始と前後して、厚生省に国民年金委員が設置され、長沼弘毅外五名が委員に委嘱されて、国民年金の基本問題に関し審議を続けていたが、昭和三三年七月に「国民年金制度構想上の問題点」と題する報告書をまとめて厚生大臣に提出した。右報告書は、ⅰ国民年金は原則として拠出制とし、これに無拠出制を組み合わせたものとすること、ⅱ拠出制は強制適用とするが、例外的に任意加入を認めるものとすること、ⅲ年金額を実質的にするため、拠出期間を相当長期とすると共に保険料も若干高めにしたこと、ⅳ無拠出制については、老齢者に対しては七〇歳から、拠出能力のない身障者、母子世帯については直ちに月額一〇〇〇円程度の年金を支給するものとすること等の着想を盛り込むなど、社会保障制度審議会の答申とは異なる意味で現実的な配慮が加えられていた。

(8) 厚生省は、以上の社会保障制度審議会の答申及び国民年金委員の報告に基づいて具体案の作成に着手すると同時に、自由民主党の国民年金実施特別委員会でまとめた国民年金制度に関する試算資料についても検討を進め、昭和三三年九月二四日に厚生省第一次案を発表した。この第一次案は、国民年金は拠出制を原則とし、無拠出制の年金は補完的及び経過的にのみ認めることとし、かつ年金は老齢、障害及び母子年金の三種類とすると共に、これら必要な規定を包含する単一の国民年金法を制定するとする自由民主党の国民年金実施特別委員会の試算資料を基本的には踏襲したものであつて、総体的に好評をもつて世に迎えられた。しかし、厚生省の右第一次案に対し、大蔵省は、主として厚生省の第一次案実施に要する財政支出は過大にすぎ、到底負担に耐えられないとして、国庫負担割合を少くし、拠出年金の拠出期間を長くすると共に、無拠出年金には相当厳しい支給制限を行うべきであるなどの見解を発表した。

(9) 厚生省の第一次案が決定された後に、最も問題とされたのは、制度実施のための事務機構をいかに組織するかという点であつたが、その他にも、公的年金制度加入者の妻の取扱い、保険料拠出能力のない者の取扱い、母子年金の支給要件、生活保護制度と無拠出年金制度との関係等が問題とされた。その後、自由民主党内では、無拠出制中心の年金制度を採用すべきであるとの意見もあつたが、厚生省と大蔵省は、拠出制を原則とすべきであるとする基本的な点で一致したため、国民年金実施対策特別委員会は、拠出制を原則としながらも、保険料をつとめて納入し易い時期、方法で納入する途を開き、更に拠出実施時期についても制定後二年ないし三年間の準備期間を設けることなどを内容とする最終案を決定した。昭和三四年度の予算編成過程において、厚生省の二二〇億円にものぼる国民年金予算要求に対し、大蔵省は難色を示し、所得制限を強化するような見解を示したので、厚生省は、大蔵省の内示に対し、所得制限の緩和による支給範囲の拡大を中心として、予算の復活折衝を行つたが、容易に受け入れられず、厚生省は無拠出年金対象者三二三万四〇〇〇人(老齢者二五六万三〇〇〇人、身体障害者二二万人、母子世帯四四万九〇〇〇人)、昭和三四年三九二億一七〇〇万円の予算要求をしたのに対し、大蔵省から人員、金額とも約八割程度に抑えられ、かなり厳しい所得制限がつけられることになつた。

(10) 厚生省は、予算案の決定に引き継き、法制局における法案の審査、関係省との折衝を一応終えたうえ、前記の第一次案に基づき国民年金法案要綱を作成し、昭和三四年一月一四日社会保障制度審議会に対して法制定についての諮問を行い、同月二二日同審議会の答申を得た。最終決定を見た国民年金法案の要綱は、自由民主党の政調会及び総務会の了解を得たうえ、一月三〇日の閣議で、政府の国民年金法案として正式決定され、二月四日、第三一国会に提出された。国会における社会労働委員会においては、政府提出の国民年金法案と、社会党が提出した「一般国民年金税法案」ら五法案とが対比された形で審議されることになつたが、国民年金法案は、三月一九日衆議院社会労働委員会、同二四日本会議でそれぞれ可決され、参議院に送付された。参議院では、四月八日社会労働委員会で原案中「援護年金」を「福祉年金」に一部修正して可決し、同日本会議で委員会案どおり修正可決して衆議院に回付した。衆議院は、翌四月九日これを可決したので、国民年金法案は一部文言を修正したのみでほぼ政府原案どおり可決成立し、四月一六日昭和三四年法律第一四一号として公布された。

(三) そこで、老齢福祉年金制度を中心として、国民年金法による国民年金制度の概要を見てみることにする。

(1) 国民年金法による国民年金制度は、前述のとおり、憲法二五条二項に規定する理念に基づき、老齢、廃疾又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とするものであり(一条)、右の目的を達成するため、国民の老齢、廃疾又は死亡に関して必要な給付を行うものである(二条)。国民年金法は、そのための方法として、保険料の形式による制度受益者の負担と国庫負担とによつて年金給付財源をまかなう社会保険方式の年金制度(八五条一項、八七条、八九条参照)と、社会保険方式によらず、年金給付財源を専ら国庫負担に負う年金制度(八五条二項参照)とを併用し、前者を原則的なものとし、後者を例外的、経過的なものとする。前者はいわゆる拠出制年金制度であり、後者は無拠出制年金制度であるが、国民年金法は社会保険方式の年金制度においても、被保険者は一定の場合に保険料の納付を要しないものとし(八九条)、また所得がないときその他一定の場合に保険料納付を免除してもらうことができる(九〇条)ものとしているので、社会保険方式の年金制度も部分的には無拠出制年金制度の性質を有するものということができる。

(2) 社会保険方式による年金制度の概要

イ 社会保険方式による年金制度では、被保険者の資格は法定される。即ち日本国内に住所を有する二〇歳以上六〇歳未満の日本国民は被保険者とされる(七条一項)が、明治四四年四月一日以前に生れた者、即ち社会保険方式の年金制度が発足する昭和三六年四月一日において五〇歳をこえる者は除外される(七四条)。尤も、右当日において五五歳をこえない者は、その申出によつて任意に被保険者となることができるものとされた(七五条)。同法五条一項にいう被用者年金各法の被保険者又は組合員(恩給法に定める公務員及び他の法律により恩給法に定める公務員とみなされる者、農林漁業団体職員共済組合の任意継続組合員並びに国会議員を含む。)その他同法七条二項各号に所定の者は、被保険者とされない(右所定の者が任意に国民年金の被保険者となり得るかは別問題。七条三項参照)。

ロ 年金給付の種類としては、①老齢年金及び通算老齢年金、②障害年金、③母子年金、準母子年金、遺児年金及び寡婦年金、④死亡一時金がある(右のうち、準母子年金と死亡一時金は昭和三六年法律第一六七号による国民年金法の一部改正により、通算老齢年金は同年法律第一八二号による同法の一部改正により、それぞれ新設されたものである。)。老齢年金と通算老齢年金は、六五歳に達することを支給要件の一つとして支給される年金であり(二六条、二九条の三)、障害年金は、疾病にかかり又は負傷した者が、その疾病又は負傷及びこれらに起因する疾病(以下「傷病」という。)についてはじめて医師又は歯科医師の診療を受けた日から起算して三年を経過した日において、その傷病により一定の廃疾の状態にあることを支給要件の一つとしてその者に支給される年金であり(三〇条一項)、母子年金は、夫が死亡した場合において、夫の死亡の当時夫によつて生計を維持した妻が、夫の死亡の当時、夫又は妻の子であつて一八歳未満であるか又は二〇歳未満で一定の廃疾の状態にあるものと生計を同じくすることを支給要件の一つとしてその者に支給される年金であり(三七条一項)、準母子年金は、夫、男子たる子、父又は祖父が死亡した場合において、死亡者の死亡の当時その死亡者によつて生計を維持していた女子が、死亡者の死亡の当時四一条の二第二項所定の準母子状態にあることを支給要件の一つとしてその者に支給される年金であり(四一条の二第一項)、遺児年金は父又は母が死亡した場合において、その者の子であつて、父又は母の死亡の当時父又は母によつて生計を維持し、かつ、一八歳未満であるか又は二〇歳未満で一定の廃疾の状態にあることを支給要件の一つとしてその者に支給される年金であり(四二条)、寡婦年金は、夫が死亡した場合において、夫の死亡の当時夫によつて生計を維持し、かつ、夫との婚姻関係が一〇年以上継続した六五歳未満の妻であることを支給要件の一つとしてその者に支給される年金であり(四九条一項)、死亡一時金は死亡者の遺族であることを支給要件の一つとしてその遺族に支給される年金であるが(五二条の二。なお、以下において、前述のような年金支給の原因いかんによる支給要件を「原因による支給要件」ということにする。)、各年金とも、被保険者又は被保険者であつた者(被保険者の資格喪失原因については九条、一〇条参照)について、保険料納付済期間(五条三項参照)、保険料納付済期間と保険料免除期間(五条四項参照)とを合算した期間又は保険料免除期間のいずれかが一定期間以上(保険料納付済期間については、被保険者期間のうち保険料免除期間を除いた期間に対するその比率で示される場合を含む。)存すること又は被保険者期間と保険料納付期間若しくは被保険者期間と保険料免除期間とが各一定期間存することのいずれか一つ又は二つ以上をもつてその支給要件とするものであり(二六条、二九条の三、三〇条、三七条、四一条の二、四二条、四九条、五二条の二。なお、以下において各種年金における右のような支給要件を「保険料納付済期間等による支給要件」ということにする。)、各年金額は右の保険料納付済期間等による支給要件の充足の態様いかんによつて異なるように法定されている(二七条、三三条、三八条、四一条の三、四三条、五〇条、五二条の三)。

尤も、障害年金については、前示の原因による支給要件中、傷病による廃疾状態の程度が重く、同法別表所定の一級に該当するとき、母子年金については、前示の原因による支給要件中、妻が夫の死亡の当時生計を同じくしている一八歳未満の子が一五歳未満であつて、義務教育終了前(一五歳に達した日の属する学年の末日以前をいい、同日以後引き続いて、中学校、盲学校、聾学校若しくは養護学校の中学部に在学する場合には、その在学する間を含む。)であるか又は妻が夫の死亡の当時生計を同じくしている二〇歳未満の廃疾状態にある二〇歳未満の子の廃疾状態が重く、同法別表所定の一級に該当するとき、準母子年金については前示の原因による支給要件中同法四一条の二第二項所定の準母子状態が同法四六条の三第二項所定の状態であるときには、前述の各保険料納付済期間等による支給要件を大きく緩和して、それぞれ一律に一定額とした当該年金を支給することにし、これをそれぞれ障害福祉年金、母子福祉年金、準母子福祉年金と称することにしている(五六条、五八条、六一条、六二条、六四条の三、六四条の四)。

ハ 老齢年金は、保険料納付済期間、保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間又は保険料免除期間が二五年以上である者が六五歳に達したときにその者に支給されるものである(二六条。同条は、昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正によつて右のように改正されたものである。右改正前の同条では、老齢年金は、保険料納付済期間が二五年以下である者又は保険料納付済期間が一〇年以上であり、かつその保険料納付済期間と保険料免許期間とを合算した期間が二五年以上であるものが六五歳に達したときに支給されるものとされていた。)が、その年金額は保険料納付済期間及び保険料免除期間の各年数に応じて算出されるように法定されている(二七条)。尤も昭和五年四月一日までに生れた者即ち昭和三六年四月一日現在で三一歳をこえる者については、年齢に応じて、老齢年金の受給資格期間を二四年ないし一〇年とする特例を定め(七六条)、右に該当する者であつて、かつ保険料納付済期間が一年以上二〇年年未満である者につき老齢年金額の特例を定め(七七条)、更に、大正五年四月一日以前に生れた者即ち昭和三六年四月一日現在で四五歳をこえる者については、保険料納付済期間が一年以上であり、かつ保険料納付済期間又は保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間が年齢に応じて定められる四年ないし七年の期間をこえるときは、その者が六五歳に達したときから七〇歳に達するまでの間、その者の保険料納付済期間に応じて定められた一定額の老齢年金が支給されることになつている(七八条、なお右の者は七〇歳に達すれば、次に述べる、七九条の二の老齢福祉年金が支給されることになる。)。

大正五年四月一日以前に生れた者即ち昭和三六年四月一日現在で四五歳をこえる者について、保険料免除期間、保険料免除期間と保険料納付済期間とを合算した期間又は保険料納付済期間が年齢に応じて定められる四年ないし七年の期間をこえるときは、その者が七〇歳に達したときに、その者に老齢年金を支給するものとし、その老齢年金を老齢福祉年金と称することとし、その額は一律に一万五六〇〇円とされる(七九条の二第一ないし三項)。右の老齢福祉年金を規定した同法七九条の二の規定は昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正によつて新らたに設けられたものであるが、右改正前の同法五三条は、保険料免除期間又は保険料免除期間と保険料納付済期間とを合算した期間が三〇年をこえる者が七〇歳に達したときはその者に老齢年金を支給することにし、これを老齢福祉年金と呼び、同法五四条はその年金額を一律に一定額と定めていた(いわゆる、補完的老齢福祉年金とはこれである。)。右の国民年金法の一部改正により同法二六条の老齢年金の支給要件が前述のとおり改正されたことに伴い、右一部改正の際、同法五三条ないし五五条は削除され、また、同法八〇条一項及び二項本文についても「第五十三条第一項本文」とあつた部分が「第七十九条の二第一項本文」と改められた。

(3) 社会保険方式によらずに年金給付財源を専ら国庫負担に負う年金制度の概要

明治四四年四月一日以前に生れた者即ち社会保険方式による国民年金制度が発足する昭和三六年四月一日において五〇歳をこえる者は社会保険方式による国民年金制度の被保険者とされなかつたことは前述のとおりであるが、国民年金法は、右に該当する者のうち、国民年金制度が発足した昭和三四年一一月一日現在で既に七〇歳をこえる者に対しては右同日に、その余の者についてはその者が七〇歳に達したときに同法七九条の二(昭和三七年法第九二号による国民年金法の一部改正前は、同法五三条)の老齢福祉年金を支給するものとした(八〇条一項、二項本文)。また、同法は、昭和一四年一一月一日以前に生れた者即ち昭和三四年一一月一日において二〇歳をこえる者につき、右同日現在で、前述の社会保険方式による年金中、障害福祉年金、母子福祉年金、準母子福祉年金の支給要件のうち原因による支給要件とされるものが備わつておれば、それだけで、五六条の障害福祉年金、六一条の母子福祉年金、六四条の三の準母子福祉年金をそれぞれ支給することにした(八一条、八二条、八二条の二)。

(4) 老齢福祉年金の額は、国民年金制度発足当時は金額一万二〇〇〇円であつた(同法五四条)。これは、制度発足当時の拠出制年金制度において、保険料納付期間が二五年以上二六年未満の場合の老齢年金額として定められた二万四〇〇〇円の二分の一に相当するものであつたが、原審における鑑定人山本克郎の鑑定の結果によれば、右二万四〇〇〇円は、国民年金制度発足当時において、生活保護法によつて厚生大臣の定めた生活扶助基準において、農村四級地の老人単身世帯の最低生活費が月額二〇〇〇円、年額で二万四〇〇〇円とされていたので、これを基準にして定められたものであつたことが認められる。そうだとすると、右の老齢福祉年金の額は右の生活扶助基準額の二分の一に相当するものであつたことになる。老齢福祉年金の額は、その後、昭和三八年法律第一五〇号による国民年金法の一部改正により一万三二〇〇円に改められ、次いで昭和四〇年法律第九三号による国民年金法の一部改正により一万五六〇〇円に改められたものである(七九条の二第三項)。

(5) 障害福祉年金、母子福祉年金、準母子福祉年金及び老齢福祉年金(以下単に「福祉年金」というときは右の各年金を一括していうものとする。)は、社会保険方式による年金制度によるものたると否とを問わず、その給付に要する費用はすべて国庫が負担するものであるが(八五条二項)、福祉年金については、その支給を停止されるべき場合が種々規定されている(六五条、六六条、七九条の二第六項。昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正前においては、六五条は、五三条の老齢福祉年金についての支給停止についての規定でもあつた。右一部改正の際に六五条から「老齢福祉年金」の文言が削られたものである。)。

イ 先ず、福祉年金の受給権者が、公的年金給付を受けることができるときは、その該当する期間、福祉年金の支給が停止される(六五条一項一号、七九条の二第六項)。これが原則である。

しかし例外一として、福祉年金の額及び公的年金給付の額がいずれも二万四〇〇〇円未満であるときは右の原則は適用されない。但しこれらの額を合算した額が二万四〇〇〇円をこえるときは、当該福祉年金のうちそのこえる額に相当する部分についてはこの限りでない(六五条三項。これは昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正の際、設けられたものである。)。

右の原則と例外とによれば、福祉年金が二万四〇〇〇円未満である(老齢福祉年金はこれにあたる。)場合は、福祉年金の受給権者が二万四〇〇〇円以上の公的年金の支給を受けることができるときはその支給を停止されることになる(以下右のような、原則と例外の手法によつて、福祉年金の受給権者が公的年金の支給を受けることができることによつて、老齢福祉年金の全部又は一部の支給が停止される基準となる金額を「一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額」ということにする。)。

次に、例外二として、福祉年金の額が二万四〇〇〇円以上であり、かつ公的年金給付の額をこえるときは、そのこえる部分については、当該福祉年金の支給を停止しないものとする(六五条四項。これは昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正前の同条三項が福祉年金の額が、公的年金給付の額をこえるときは、その部分については、当該福祉年金の支給を停止しない旨定めていたのを前記法律による国民年金法の一部改正の際、右のように改めたものである。)。しかし老齢福祉年金は二万四〇〇〇円未満であるから、この例外は老齢福祉年金には関係がない。

次に、例外三として、福祉年金受給権者が受ける公的年金が恩給法による増加恩給、同法七五条一項二号に規定する扶助料その他政令で定めるこれらに準ずる給付であつて、廃疾又は死亡を事由として政令で定める者に支給されるもの(以下「戦争公務による公的年金」という。「戦争公務扶助料等」ということもある。右政令の定めとして、昭和四一年政令第二〇四号による改正前の国民年金施行令五条の二。なお以下において公的年金のうち、戦争公務による公的年金以外のものを「一般の公的年金」という。)であるときには、前記の例外一及び二における「二万四〇〇〇円」は「一〇万二五〇〇円」とされる(六五条五項。これは昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正の際設けられたものである。尤も右「一〇万二五〇〇円」は当初は「七万円」であつた。その後昭和三九年法律第八七号による国民年金法の一部改正によつてそれが「八万円」に改められ、更に昭和四〇年法律第九三号による国民年金法の一部改正によつてそれが「一〇万二五〇〇円」に改められたものである。)。

前記の原則と例外とによれば、福祉年金が一〇万二五〇〇円未満である(老齢福祉年金はこれにあたる)場合には、福祉年金の受給権者が一〇万二五〇〇円の戦争公務による公的年金の支給を受けることができるときには、その支給を停止されることになる(なお、以下右のような原則と例外の手法によつて、老齢福祉年金の受給権者が戦争公務による公的年金の支給を受けることができることによつて、福祉年金の全部又は一部の支給が停止される基準となる金額を「戦争公務による公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額」ということにする。)。

ロ 次に、福祉年金の受給権者本人の前年の所得が二二万円(受給権者が前年の一二月三一日において受給権者又はその配遇者の子、孫又は弟妹であつて義務教育終了前であるか又は二〇歳未満で別表で定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあるものの生計を維持したときは、二二万円にその子、孫又は弟妹一人つき四万円を加算した額とする。)をこえるときは、その年の五月から翌年の四月まで、その支給を停止する旨規定している(六五条六項、七九条の二第六項)。尤も福祉年金の受給権者本人の前年の所得によつてその支給を停止される基準となる金額(以下これを「本人の一般所得による福祉年金の支給制限基準額」(これを特に老齢福祉年金についていうときは「福祉年金」とあるを「老齢福祉年金」と読み替えるものとする。)ということにする。)は、国民年金法制定の当初は一三万円であつた。その後、本人の一般所得に福祉年金の支給制限基準額は、昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正によつて一五万円に改められ、その後、昭和三八年法律第一五〇号による国民年金法の一部改正によつて一八万円に改められ、更にその後昭和三九年法律第八七号による国民年金法の一部改正によつて二〇万円に改められ、更にその後昭和四〇年法律第三九号による国民年金法の一部改正によつて二二万円に改められたものである。

ハ 障害福祉年金と老齢福祉年金とについては、以上のほかにも、受給権者の配遇者の所得による支給停止及び受給権者の扶養義務者で当該受給権者の生計を維持する者の所得による支給停止がある(六六条一、二、四、五項、七九条の二第六項)。母子福祉年金と準母子福祉年金についても、前記のほかに支給停止の規定がある(六六条一、四、五項)。なお、昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正前においては、障害福祉年金と老齢福祉年金については、受給権者の配遇者の公的年金受給による支給停止及び夫婦が福祉年金を受けることができるときの支給停止があつたが(右一部改正前の六六条一、二、三項)、これは右一部改正の際、廃止された。

(6) 生活保護法による生活扶助を受けている老人が満七〇歳になつたことによつて老齢福祉年金の受給権を取得したとき、この両者をどのように調整するかが問題となり得る。これは老齢福祉年金の基本的性格を把握する上で看過し得ない点なので、これについて検討してみる。

国民年金法の立法過程において生活保護法による被保護者を国民年金の被保険者とするかどうかの問題があつたことは既に述べたとおりであるが、<証拠>によれば、その際に、国民年金制度は低所得者層に対する防貧的な所得保障としての意義をもつものであるから、救貧的な公的扶助制度たる生活保護制度の保護を受けている者を特に拠出制国民年金制度の被保険者から除外する理由はないとして、他の一般低所得者と同様、その被保険者に含めることとされたこと、生活保護法による被保護者に無拠出制の福祉年金を支給するとした場合、それを収入と認定して生活保護付与上の調整をするかどうかという問題については、被保護者に福祉年金を支給するとしても、これが収入として認定されれば、年金額だけ保護費から控除されることになり、結局被保護者に対して従来支給されていたと同額のものが生活保護費と福祉年金に分れて支給されるだけに過ぎなくなるから、被保護者には福祉年金を支給すべきではないとする考え方もあつたが、保護費が福祉年金以下の者にに対して福祉年金を支給しないことにすると、生活保護を受けている者を生活保護を受けていない者よりも不利に取扱うことになつてしまうので、結局生活保護法の被保護者に対しても福祉年金を支給することにしたこと、しかし、この場合、生活保護は他の法律に定める扶助によつて不足しているときに、はじめて行われるという生活保護法四条に規定する生活保護の補足性の原則との間に調整をはかるため厚生大臣は、従来生活保護法の保護を受ける保護基準に老齢福祉年金相当額の老齢加算の制度を新設し、老齢福祉年金の支給を受ける老齢の被保護者も従来の保護費が減額されることがないようにすると共に、従来からあつた身体障害者加算及び母子加算における加算額を福祉年金の額なみに増額することにしたこと、以上の事実が認められる。

(四) 以上検討したところに基づいて国民年金法の老齢福祉年金制度の基本的性格を考察するに、老齢福祉年金殊に国民年金法制定当初から存した同法八〇条の老齢福祉年金は、その給付財源を専ら国庫負担に仰ぐものであり、国の一方的支出による給付であつてその受給権者の出捐に対する反対給付たる性質は全くない。この点、社会保険方式による拠出制の国民年金が、被保険者の保険料拠出に対する反対給付としての性質(尤も年金資金として国庫の負担があるから、実質的には、年金は被保険者の拠出額を相当上まわることになる。)を備えるのと著しい対照をなし、少くともこの点に関する限り、老齢福祉年金は、社会保険方式による拠出制の国民年金よりは、寧ろ、公的扶助としての生活保護法による生活保護の制度に近いものということができる。また、老齢福祉年金は生活保護法による生活扶助を受けている者にも、生活扶助額を減らすことなしに支給される取扱になつていることも、見方によつては、老齢福祉年金が生活保護法による生活扶助の足りないところを補つているものと見れなくもない。しかしながら、全体としてみれば、老齢福祉年金は典型的な公的扶助の制度である生活保護法による生活保護の制度とは異なる面を持つており、寧ろこの面の方が優勢である。即ち生活保護法による生活保護は、現に生活に困窮しており、他にこれを脱する方法をもたない者に対し、人間らしい生活の最低限度を保障するために、個別的に、事情を調査したうえで、右の限度の生活をするのに必要なものの全部を給付する救貧制度であるのに対し、老齢福祉年金制度はその年金受給権者には、年金のほか、ある程度の所得、貯蓄、資産がありうること、また扶養親族による扶養もある程度ありうることを前提とし、所定の老齢に達したという要件のもとに低所得層の老人に対し、個別的にではなく、画一的に、さほどに多くはない法定の一定金額を支給することによつて所得の一部を保障するものであつて、それによつて低所得層の老人が生活困窮に陥るのを防止すると共に彼等に生活設計のよりどころ、ないしは余生の楽しみを与えようとする積極的な社会保障的施策であるということができる。それゆえ老齢福祉年金制度、就中、同法八〇条の老齢福祉年金制度は、基本的にはいわゆる防貧的な性格をもつた社会保障制度であるというべきであり、(一)の冒頭判示の社会保障制度の四部門分類に従えば、そのⅱの部類に属するものといわなければならない。しかしながら、老齢福祉年金制度は、前述のとおり生活保護法による生活保護の制度との近似点も濃厚にもつているので、右ⅱの部類の社会保障施策の中では右ⅰの部類のそれに最も近くいわばこれに接着しているものということができる。この点、社会保険方式の国民年金制度(これもまた右ⅱの部類に属する社会保障施策である。)とはかなり異なるものがあるといわなければならない。

老齢福祉年金、就中、同法八〇条の老齢福祉年金の基本的な性格が右のようなものであるとすると、その受給権者は一般に、貧しい生活をしている老人であるというべく、その者がたまたま公的年金給付を受けることができるために右老齢福祉年金の支給を停止されることによつて招くおそれある生活上の緊急状態は、右公的年金給付の額その他の諸般の事情いかんにもよることはいうまでもないが、一般に公的年金の額はそれだけで生活をしている者にとつては必ずしも十分なものではないから、一般的にいつて決して軽いものということはできない(この点に関して、控訴人は現状では、老齢福祉年金も他の公的年金もそれだけで単独では憲法の保障する最低限度の生活を営むには足りないとし、他の公的年金で生活している者が老齢福祉年金の支給を停止されるときは直ちに生活困窮に陥つてしまうかのように主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)。右の点よりすれば、老齢福祉年金、就中、同法八〇条の老齢福祉年金の受給権を制限するものとしての、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定を立法するに際し立法府の有していた裁量権の幅はかなり限られたものであつたといわなければならない。

6  そこで、国民年金法の老齢福祉年金、就中、同法八〇条の老齢福祉年金の受給権の制限規定としての、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定の憲法適合性を前記3に従つて判断する基準について考察するに、前記4末段に判示したところ及び前記5の(四)後段に判示したところを彼我総合すると、右老齢福祉年金の受給権を制限する右の併給制限規定を立法するに際し、立法府の有していた裁量権の幅は相当に、広いものであつたと認めるのが相当であり、従つて裁判所が右併給制限規定立法の憲法適合性を判断するにあたつては、右のような併給制限規定を必要とすることについて一応の合理性が認められる限りは、これを合憲としなければならない。而して右併給制限規定による併給制限の程度の憲法適合性を判断するに当つては、老齢福祉年金受給権者の一般的経済状態、各種公的年金制限についての加入要件、拠出の程度、拠出期間、年金額、支給要件、併給制限を受ける老齢者その他の国民感情、国家の財政状態、国民経済発展の推移等の諸般の事情について正確な資料が必要であり、具体的な併給制限が老齢者にどのような影響を及ぼすか、その利害得失いかんを洞察すると共に、広くわが国の社会政策全体との調和を考慮する等相互に関連する諸々の要素について適正な評価と判断が必要であるところ、このような評価と判断は、まさに立法府の使命とするところであるから、それが著しく不合理であると認められない限り、これを合憲としなければならない。

7  そこで、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定を立法するにつき、これを必要とする一応の合理的理由があつたと認められるか否かについて考察することとする。

(一)  前記5の(二)で挙示した証拠によれば、国民年金法の立法に際し、公的年金受給による福祉年金(老齢福祉年金も当然これに含まれる。)の併給制限規定が設けられた理由は、国民年金制度が本来他の公的年金制度によつて保障されない者に対する保障の制度であるから、現実に他の公的年金制度によつて保障されている者に福祉年金を支給することは二重の年金給付を保障することになつて国民年金制度本来の趣旨に反するし、また実際上その必要性に乏しいということと、他の公的年金の受給権者は当該公的年金制度の充実強化を期待しうる立場に在り、またその生活向上はそれに期待するのが本筋であるということ、一般に国は他の公的年金においても相当の負担をしており、これにあわせて福祉年金を支給することにすれば、国の負担が過重になり、その支出が財政上困難であるということにあつたこと(なお、例外として、福祉年金の額が他の公的年金給付の額をこえるときは、そのこえる額については、福祉年金の支給を停止しない旨定めたのは、福祉年金の受給権者のうち、福祉年金の額よりも少ない額の公的年金の支給を受けている者までも福祉年金の支給を全く受けられないことにすると、公的年金の支給を受けているばかりに、公的年金を受けていない者よりも却つて不利になるという不都合が生ずるので、かかる不都合の生ずるのを防ぎつつ、低所得者対策の一環として福祉年金を支給する趣旨からいつて、福祉年金の受給権者のすべてに対して少くとも福祉年金なみの金額は最低限保障しようとする趣旨に出たものであつたこと)が認められるが、国民年金法七九条の二第六項、六五条一項一号、三項即ち一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定は、前述した同法制定以来のその改正経過に徴すると、同法立法当初の、公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定を受け継いだものであることが明らかであり、従つてその立法趣旨は、右に述べたところと同じものと認められる。

(二)  そうだとすれば、老齢福祉年金の受給権者が一般の公的年金給付を受けることができるときに、老齢福祉年金の支給を停止すること自体には一応の合理性は優にあつたものといわなければならない。

(三)  一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定は、老齢福祉年金の受給権者が一般の公的年金給付を受けることができるときに、老齢福祉年金の支給をいかなる場合にもその全額を停止するものではなく、その一部しか停止しない場合を認めるものであるが(第一の二の判示参照)、これ以上のせんさくをするまでもなく、右併給制限規定による併給制限の程度が著しく不合理であるといい得ないことはいうまでもない。

8  叙上説示したところによれば、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定が憲法二五条一項に違反するものということはできず、従つてこれと反対の前提に立つて本件支給停止処分を無効であるとする控訴人の主張は理由がない。

二次に、控訴人は、国民年金法七九条の二第六項及びこれが準用する限りにおいての同法六五条一、三項は憲法一四条に違反して無効であると主張する。これは要するに、本件支給停止処分の根拠となつた一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定の憲法一四条違反をいうものと認められるので、これについて判断する。

1  憲法一四条一項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定する。個人主義は、各個人は、すべて人間として、平等な価値をもつと考える。従つて、基本的人権を保障するにも、義務を課するにも、平等的な取扱いが要請される。これが右条項が定める法の下の平等の原理であり、かかる平等思想は、近代民主主義国家の大原則である。しかし、憲法一四条一項は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることが何ら右法条の否定するものではないと解するのが相当である(最高裁判所昭和三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、同昭和四五年六月一〇日大法廷判決・民集二四巻六号四九九頁参照)。

また、憲法一四条一項後段は、同項前段の原理を前提とし、その重要な場合を具体的に列挙した例示的な規定であり、同条項中の「社会的身分」とは、広く人が社会においてある程度継続して占める地位を指すものであつて、人の出生によつて決定される社会的地位または身分に限定されないものと解するのが相当であるから、「一般の公的年金を受ける地位」、「戦争公務による公的年金を受ける地位」も、また右の「社会的身分」に該当するものというべく、従つて憲法一四条一項は、このような地位による不合理な差別を禁止しているものということができる。

2  控訴人は、一般の公的年金の受給権者に対する老齢福祉年金の併給制限基準額と一般所得を有する者に対するその支給制限基準額との間に差を設けているのは不合理な差別であると主張する。もし右の主張が理由ありとすれば、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定は違憲、無効となるものというべく、唯単に同法七九条の二第六項が同法六五条三項を準用する限りでのみ違憲、無効となるものと解するのは相当でない。

よつて右のような前提に立つて右主張について検討することにする。

(一) 昭和四一年法律第六七号による改正前の国民年金法において、老齢福祉年金の受給権者が年額二万四〇〇〇円をこえる一般の公的年金の給付を受けることができるときは、老齢福祉年金の支給が停止されることになつていたこと、他方、老齢福祉年金の受給権者が前年度年間二二万円(受給権者が前年の一二月三一日において受給権者又はその配偶者又はその配偶者の子、孫又は弟妹であつて義務教育終了前であるか又は二〇歳未満で国民年金法の別表に定める一級に該当する程度の廃疾の状態にあるものの生活を維持したときは、二二万円にその子、孫又は弟妹一人につき四万円を加算した額とする。)をこえる所得を有したときは、その年の五月から翌年の四月まで、その支給が停止されるようになつたことは既に述べたとおりである。

(二)  ところで、一般の公的年金の支給を受けている者に対して福祉年金(老齢福祉年金を含む。)の支給を原則として停止することにした理由は、国民年金制度は、本来、厚生年金、恩給等他の年金制度によつて保護を受けない者に対して年金制度の恩恵を及ぼそうとするために設けられた制度であるから、現に他の公的年金によつて保障を受けている者に対して重ねて福祉年金を支給することは国民年金制度の本来の趣旨に反するし、また実際上の必要に乏しいということと、他の公的年金の受給権者は当該公的年金制度の充実強化を期待しうる立場に在り、その生活向上はそれに期待するのが本筋であること、一般の公的年金においても国は相当の財政上の負担を負つているから、これに合わせて福祉年金を支給するとすれば、国の財政負担は重複し、その支出が財政上困難になるというにあつたことは、前に判示したとおりである。

(三)  他方、前記一の5の(二)で挙示した証拠によれば、福祉年金(老齢福祉年金を含む。)の受給権者本人の一般所得によるその支給制限は、福祉年金の費用はその全部を国に依存するものであるところから、ある程度生活にゆとりがある者に対してまで年金を支給する必要がないということと、国の財政事情等を考慮して設けることになつたものであることが認められるのであるが、更に前示<証拠>によると、国民年金制度の発足にあたり本人の一般所得による福祉年金の支給制限基準額については、社会保障制度審議会の答申ではさしあたり所得税を納付する程度の所得としていたものであり、自由民主党の国民年金実施対策特別委員会の案及び厚生省第一次案も、右の答申と同様な考え方を採つていたこと、昭和三四年度の予算編成作業の過程において、厚生省の提出した国民年金関係の予算要求に対し、大蔵省が強い難色を示し、右支給制限基準額を所得税を納付すべき最低所得額とする厚生省案に対し、市町村民税の均等割の納付をすべき最低所得額と減額修正するように要求してきたこと、それで厚生省は、これに対して所得制限の緩和による支給範囲の拡大を求めて予算の復活折衝を行つたが、結局大蔵省の譲歩が得られなかつたため、最終的に本人の一般所得による福祉年金の支給制限については市町村民税の均等割の納付をすべき最低所得額(昭和三四年当時年額一三万円)とすることになり、これが立法化されたことが認められる。

(四)  右のとおりであるから、国民年金法所定の一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限及び本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限は、それぞれ、その趣旨、目的を異にするものであり、各支給制限基準額に差を設けたとしても、そのこと自体は不合理なものとはいえない。

(五)  次に一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額、本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限基準額をいくばくにするか、その間にどの程度の差を設けるのが相当であるかを判断するに当たつては、諸々の要素について適正な評価と判断が必要であり、このような評価と判断は、まさに立法府の使命とするところであるから、それが著しく不合理であると認められない限り、これを合憲とすべきところ、国民年金法の制定に当たり受給者本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限基準額が市町村民税の均等割を納付すべき最低所得額と同額とされたこと(尤もその後の右支給制限基準額の改正にあたつても右同様の基準によつたものであることについては証拠上確認できない。)を考慮すれば、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額が二万四〇〇〇円であり、本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限基準額が二二万円であるからといつて、直ちに、そこに著しく不合理な差別があるということはできない。

因みに、本件支給停止処分のあつた後において、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額及び本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限基準額がそれぞれ別表(二)ないし(四)に記載(但し、前者は「一般の併給限度額」、後者は「本人所得制限額」とそれぞれ記載。)のとおり改められたことは国民年金法の改正経過に照らして明らかであるが、右二つの基準額の間に著しく不合理な差別が生じたことがあつたものとは認め難い。

(六) 以上のとおりであつて、一般の公的年金と一般の所得との各所得源泉の質的な相違を無視することに立脚するものと認められる控訴人の前記主張は採用できない。

3  次に、控訴人は、一般の公的年金の受給権者に対する老齢福祉年金の併給制限基準額と戦争公務による公的年金(戦争公務扶助料等)の受給権者に対するその併給制限基準額との間に差を設けているのは不合理な差別であると主張する。もし右主張が理由ありとすれば一般の公的年金給付による老齢福祉年金の併給制限規定は違憲、無効となるものというべく、唯単に同法七九条の二第六項が同法六五条三項を準用する限りでのみ違憲、無効になるものと解するのは相当でない。

よつて右のような前提に立つて右主張について検討することにする。

(一) 昭和三七年法律第九二号による国民年金法の改正によつて、老齢福祉年金の受給権者が受ける公的年金が一般の公的年金であるときは、右公的年金給付額が二万四〇〇〇円以上の場合は老齢福祉年金の支給を停止し、それが二万四〇〇〇円未満である場合には老齢福祉年金のうち、その公的年金給付の額と二万四〇〇〇円との差額をこえる部分についてだけ支給を停止することに改められ、他方、老齢福祉年金受給権者の受ける公的年金が恩給法による増加恩給、同法七五条一項第二号に規定する扶助料、その他政令で定められるこれらに準ずる給付であつて、廃疾又は死亡を事由として右政令で定める者に支給されるもの即ち戦争公務による公的年金であるときは、それが七万円以上の場合は老齢福祉年金の支給を停止し、それが七万円未満である場合には、老齢福祉年金のうち、その公的年金給付の額と七万円との差額をこえる部分についてだけ支給されることになつたこと、昭和三七年政令第一八〇号国民年金法施行令の一部を改正する政令によつて同法施行令第五条の二が新設され、戦争公務による公的年金の範囲が定められたこと(いわゆる戦争公務扶助料とは、恩給法七五条一項二号に基づく公務扶助料受給者のうち、国民年金法施行令で定める者が受給する公務扶助料であつて、戦争による負傷若しくは疾病によつて死亡した旧軍人等の遺族に対する給付である。昭和四一年政令第二〇四号による改正前の国民年金法施行令五条の二第二項の表の二参照。)、その後、昭和三九年法律第八七号による国民年金法の一部改正によつて右の七万円が八万円に改められ、更に昭和四〇年法律第九三号による同法の一部改正によつて、それが一〇万二五〇〇円に改められたこと、それで昭和四一年法律第六七号による改正前の国民年金法のもとにおいて、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額は二万四〇〇〇円であり、戦争公務扶助料等の受給による老齢福祉年金の併給制限基準額は一〇万二五〇〇円であつたこと、以上のことは、国民年金法及び同法施行令の改正経過に徴し明らかである。

(二) そこで老齢福祉年金受給権者であつて、戦争公務による公的年金の支給を受けることができる者について、なにゆえ老齢福祉年金の併給制限につき右のような特別の定めがなされたのかについて、次に考察する。

国民年金制度が発足した当時では、福祉年金の受給者が公的年金各法に基づく年金たる給付を受けることができるときは、その支給を停止し(制定当時の国民年金法六五条一項一号)、福祉年金の額が右公的年金給付額をこえるときは、そのこえる部分につき福祉年金の支給を停止しないものと定められていた(制定当時の国民年金法六五条三項)のであるが、<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

国民年金法による老齢福祉年金制度が発足して間もなく、右のような公的年金受給による福祉年金の支給制限に対して、特に、恩給法又は戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号)によつて旧軍人関係の年金、扶助料の支給を受けている戦死者の遺族の側から、主として、ⅰ公務扶助料、増加恩給などは、戦争による軍人、軍属の死亡または傷病に対する国家補償であつて、社会保障を目的とする福祉年金とは、性質上異なるものであるということと、ⅱ戦争で息子を失つた父母などの遺族には、(公務扶助料が支給される関係で)老齢福祉年金が支給されず、息子が生還している場合には、その父母に老齢福祉年金が支給されるのは不合理である、ということから強い不満が表明された。

そこで、国は、昭和三五年一〇月厚生大臣の諮問機関である国民年金審議会に特別の小委員会を設置し、同審議会がこの公的年金受給制限の問題を審議した結果、年金の併給制限はすべての公的年金を対象として平等に行うのを原則とするが、軍人恩給の公務扶助料など、いわゆる戦争公務に基づく事故を支給事由とする公的年金については、生活保障的な要素とその他の精神的な要素が含まれているので、他の公的年金と区別した取扱をすることとし、その場合の併給制限基準額の比率は、恩給法による普通扶助料と公務扶助料との比率を基準とするのが相当であるとの結論を出した。

そこで、国は、戦争公務による公的年金については、戦争によつて減損した稼働能力を補填するという生活保障的な面と、戦地等酷烈な環境下において生命の危険にさらされつつ公務に従事し、それが原因となつて死亡しまたは傷害をうけたことによる精神的苦痛を慰藉するという面との割合につき、一応のよりどころとして、恩給法における兵の平病死による普通扶助料と公務死による公務扶助料の比率によることにし、これによると後者が前者の約三倍強であつたことから、一般の公的年金の場合の併給制限基準額を二万四〇〇〇円とすると同時に、そのほぼ三倍に相当する年額七万円をもつて、戦争公務扶助料等の場合の併給制限基準額とすることとして、昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正の際、前述のような立法をしたものである。なお、昭和三九年法律第八七号によつて右七万円を八万円に改めた理由は明らかでないが、昭和四〇年法律第九三号によつて右八万円を一〇万二五〇〇円に改めたのは同年法律第八二号による恩給法の一部を改正する法律により、兵の公務死にかかる公務扶助料が増額されて年額九万三四五七円とされたことに伴つたものであることは、被控訴人弁論の全趣旨に徴して明らかである。

(三) ところで、戦争公務扶助料は、恩給法上、普通扶助料や増加非公死扶助料に比して高額となるように定められているものであるが、それは国家権力により徴兵されて戦地に赴き、苛烈な環境の下において生命の危険にさらされて公務に従事しつつ死亡した旧軍人等の遺族に支給されるものであつて、これら遺族は戦争の最大の犠牲者であるということによるものであり、従つて戦争公務扶助料の中にはこれら戦争犠牲者の被つた精神的損害を国家が補償するという要素が含まれているものと見ることができる。従つて一般的にいつて戦争公務扶助料の中には生活保障的性質をもつた部分とこれとは全く異質の精神的損害の国家補償的性質をもつた部分とが含まれているものということができる。そしてこのことは戦争扶助料等のすべてについてあてはまることである。

これに対して、増加非公死扶助料は旧軍人等の遺族の被つた損害についての国家補償の要素が含まれていると見ることはできない。けだし、増加非公死扶助料は、増加恩給受給者が、戦争による負傷に起因しないいわゆる平病死した場合に、その死亡当時その者により生計を維持し又はその者と生計を共にしていた一定範囲の親族に対し、増加恩給受給者の死亡による収入の減少を補填することを目的として支給されるものであつて、増加恩給受給の原因となつた戦傷による不具廃疾についての精神的損害の国家賠償の要素は含まれておらず(尤も右戦傷による不具廃疾についての精神的損害の補償的要素は増加恩給受給者本人に対する増加恩給の中には含まれている。)、このことは、増加非公死扶助料は、増加恩給受給者本人が平病死した場合に初めて受給権が発生するものであり(恩給法七三条)、かつ本人の死亡当時本人と同一家計にあつた一定の遺族に対し一定の順序により給付されるものであつて(同法第七二条)、本人の戦傷当時において親族であつたか否かはこれを問わないものである(従つて控訴人の場合のように亡夫の戦傷後にその妻となつた者であつても、受給権を取得することができる。)ことからみても明らかだからである。右のとおりであるから、増加非公死扶助料を、戦争公務扶助料と同質のものということはできない。増加非公死扶助料は、専ら、平病死した増加恩給受給者の遺族の生活保障のためのものであり、それが受給者の生活保障を目的とする点において他の一般の公的年金となんら異なるところはない。

この点に関して、控訴人は、戦争公務により不具廃疾となり、廃人同様の余生を送つた夫留太郎をかかえて長年月にわたり家計を支えてきたが、かかる控訴人のような遺族の被つた苦痛は、戦死者の遺族の被つたそれと何ら変るところはないから、戦争公務により死亡した者の遺族と戦争公務に起因した疾病により不具廃疾になつたうえ、それを直接の原因としないで死亡した者との間に差別を設けるべき合理的理由はないと主張する。

しかしながら、<証拠>によれば、留太郎は明治三七年一二月二三日日露戦役に参加して右腰部に盲管銃創を受け、同三八年二月一五日内地に帰郷し、これより大正一五年六月上旬まで家業たる大工職に従事していたこと、留太郎は、明治四二年一月一八日荒川ひでと婚姻し、大正三年六月一八日同女と協議離婚したが、その間に、長女ハナと次女喜代子をもうけ、また同年七月二九日控訴人との間に三女つめをもうけたほか、同六年三月一〇日控訴人と婚姻後昭和一〇年までの間に、控訴人との間に、四女みよ、長男政雄、二男薫、三男卯三郎、四男寅雄、五男源次郎、六男芳男、七男七郎の八子をもうけていること、留太郎は、大正一五年六月上旬、戦傷による後遺症のため家業である大工職を廃業してブリキ職に転じたが、昭和三年一月以降は、後遺症の増悪のため入、退院を繰り返し、昭和四年九月七日には、昭和二一年勅令第五〇四号による改正前の恩給法施行令二四条所定の第六項症(不具廃疾のうち最も軽度のもので、頸部又は躯幹の運動に大に妨げあるもの、一眼の視力が視標0.1を一メートル以上にては弁別し得ざるもの、一側拇指及び示指を全く失ひたるもの、一側総趾を全く失いたるものがこれに該当する。)と判定され、昭和八年九月二〇日症状等差甲第六項症として増加恩給の裁定を受けたこと、留太郎は昭和三二年五月二〇日満七六歳で老衰により死亡したこと、以上の事実が認められる。<証拠判断略>

右認定の事実によれば、留太郎は、除隊後、家業である大工職やブリキ職に従事してきたことが明らかであり、このことと留太郎が除隊後二度に亘つて婚姻し、先妻及び控訴人との間に合わせて一一人の子供をもうけていることをも合せ考えると、留太郎としては、身体的障害により日常の生活に多大の不便を感じていたにせよ、除隊後廃人同様の余生を送つたものとは到底認めることはできず(なお、控訴人は留太郎が廃人同様の余生を送つたとの点については、従前被控訴人がこれを認めていたのを否認するに至つたのは自白の撤回であり、控訴人は右自白の撤回については異議がある旨主張する。しかしながら、仮令、被控訴人が控訴人の右主張のとおりの自白をしていたとしても、それはいわゆる間接事実についての自白であるから、被控訴人としてはこれに拘束されることなく、これを任意に撤回し得るものであり、のみならず控訴人指摘の被控訴人の昭和四五年一一月六日付準備書面(原審昭和四五年一一月六日午前一〇時の口頭弁論期日に陳述)一の2の(一)の記載によれば、被控訴人が控訴人が訴状の請求原因一項において主張していた事実(控訴人は明治二九年二月三日生れで、大正六年三月一〇日亡岡田留太郎(明治一四年五月三日生れ)と婚姻のうえ届出をした)は認める旨答弁書の一部を訂正したにすぎないものであり、控訴人の異議は失当である。)、また、戦傷の後遺症が原因で死亡したものと認めることもできないから、戦傷のため廃人同様の余生を送つた者の遺族である控訴人の被つた苦痛と戦争公務により死亡した者の遺族の被つたそれとの間になんら変ることはないとの前提に立つて両者の間に差別を設けるのは不合理だとする控訴人の前記主張は、その前提において失当であつて採用することはできない。

(四) 右のとおりとすると、戦争公務扶助料のうち、国家補償的性質をもつた部分は、憲法二五条の理念に基づく社会保障的施策としての給付ではなく、その意味では寧ろ一般所得と異らない性質を有するということもできるものである。固より該部分もすべて国庫負担によるものであるからこの点において一般所得とは異なることはいうまでもない。このことに2で説示したところ(一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額と本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限基準額に差を設けているのは不合理であつて憲法一四条に違反する旨の控訴人の主張に対する判断)を斟酌すると、老齢福祉年金の受給権者が戦争公務扶助料等の支給を受けることができることによる老齢福祉年金の併給制限は、老齢福祉年金受給権者が一般の公的年金の支給を受けることができることによる併給制限よりは緩るくし、老齢福祉年金受給権者が一般所得を有することによる支給制限よりは厳しくするのが合理的であるということができる。また、戦争公務扶助料等を国家補償的部分と生活保障的部分とに截然と分けることがもし可能であるならば、老齢福祉年金の供給制限については、その生活保障的部分については、一般の公的年金についてと相等しい併給制限を設け、他方その国家補償的部分については、これを一般所得とみてしまうのが合理的であるということもできる。以上のとおりであるから、老齢福祉年金受給者であつて戦争公務扶助料等の支給を受けることができる者と老齢福祉年金受給権者であつて一般の公的年金の支給を受けることができる者とを老齢福祉年金併給制限の点で差別して取扱い、前者を後者よりも優遇することにしても、両者を不合理に差別することにはならない。また、右のように取扱つても前者に対し二重の社会保障的保護を後者に対してよりも厚く与えることにもならない。

(五) 次に、昭和四一年法律第六七号による改正前の国民年金法のもとにおいて、一般の公的年金の受給権者に対する老齢福祉年金の併給制限基準額と戦争公務扶助料等の受給権者に対するその併給制限基準額との間に存した差別の程度が憲法一四条一項に適合していたか否かについて考察する。昭和三七年法律第九二号による国民年金法の一部改正の際、一般の公的年金の受給による老齢福祉年金併給制限基準額と戦争公務扶助料等の受給による老齢福祉年金併給制限基準とにはじめて差を設けるに当たり恩給法における兵の平病死による普通扶助料と公務死による公務扶助料との比率を見ると、後者が前者の約三倍であつたところから、前者の併給制限基準額を二万四〇〇〇円とし、後者の併給制限基準額をそのほぼ三倍に相当する七万円としたことは前述のとおりであるが、これによれば、その際の右併給制限規定の改正に当つては、戦争公務扶助料等の中に含まれる生活保障的部分についてのみ老齢福祉年金の併給制限をなし、戦争公務扶助料等の中に含まれる国家補償的部分については老齢福祉年金の併給制限をしないという建前を前提としたものであることが明らかに看取される。戦争公務扶助料等の受給による老齢福祉年金の併給制限基準額が、昭和三九年法律第八七号による国民年金法の一部改正によつて、八万円に改められ、その後、戦争公務扶助料等の増額に伴い更に昭和四〇年法律第九三号による国民年金法の一部改正によつて一〇万二五〇〇円に改められたことは前述のとおりであるが、増額された戦争公務扶助料等の中に占める国家補償的部分と生活保障的部分との比率が、仮りにその増額前と同じであるとしても、戦争公務扶助料等が増額になれば、前記の併給制限基準額がそれに応じて高められるのは、(四)で説示のような考え方をとる以上は、当然のことであり、況んや増額された戦争公務扶助料等の中に占める国家補償的部分の比重が増大するにおいては、なお更然りである。現に戦争公務による死亡者の遺族という特別な立場に対する理解、評価ないし国民感情は時勢の推移とともに変化を来たし、これが戦争公務扶助料等の増額の立法を促すと共に戦争公務扶助料等の中に占める国家補償的部分の比重を次第に重からしめて来たことは公知の事実といつてもよい。いずれにせよ、右に判示したところによれば、立法府は、老齢福祉年金の受給権者が戦争公務扶助料等の支給を受けることができるときの老齢福祉年金の併給制限基準額を改正するに当たつては、戦争公務扶助料等のうちの生活保障的部分についてだけ老齢福祉年金の併給制限をし、その程度は老齢福祉年金の受給権者が一般の公的年金の支給を受けることができるときのそれと同程度のものとするという建前を一貫してとつてきたものと推認することができる。

而して、戦争公務扶助料等の支給を受けることができるときの老齢福祉年金の併給制限基準額は、どの時点をとつても、本人の一般所得による老齢福祉年金の支給制限基準額よりはずつと低く規定されてきていることは叙上説示してきたところによつて明らかである。

以上の考察によれば、昭和四一年法律第六七号による改正前の国民年金法のもとにおいて、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限基準額と戦争公務扶助料等の受給による老齢福祉年金の併給制限基準額との間に、前述の程度の差があつたからといつてこれを不当なものということはできない。そもそも、戦争公務扶助料等の中に含まれる国家補償的部分と生活保障的部分との比率は必ずしも明らかなものではなく、戦争公務扶助料等の支給を受ける者同志の間においても右比率の相違が考えられないではないし、また時勢の推移によつてその評価が変化しうる(生活保障的部分が零ということも生じうる。)ものであることは既に述べたとおりである。そうだとすると、老齢福祉年金の併給制限について、戦争公務扶助料等の支給を受けることができる者と、一般の公的年金の支給を受けることができる者とをどの程度異なつた取扱をするかについては、立法府が諸般の事情を考慮して広範な裁量権のもとにこれを決することができるものというほかなく、それが著しく不合理と認められない限りは憲法一四条一項違反の問題は生じないものといわざるを得ない。而して前説示したところによれば、昭和四一年法律第六七号による改正前の国民年金法のもとにおいて一般の公的年金の支給を受けることができる者と戦争公務扶助料等の支給を受けることができる者との間に、老齢福祉年金の併給制限について設けられていた前述の程度は少くとも著しく不合理なものとは認め得ないものであつて、これを憲法一四条一項に違反するものということはできない。

なお、その後、戦争公務による公的年金の受給権者に対する福祉年金の併給制限が数次に亘る国民年金法の改正の都度緩和されてきたことは、別表(二)ないし(四)に記載のとおりであり(なお、一般の公的年金の受給権者に対する福祉年金の併給制限及び一般所得のある者に対する福祉年金の併給制限もそれぞれ緩和されてきたことも右に記載のとおりである。)、特に、准士官以下にかかる者については昭和四六年一一月から、中尉以下にかかる者については昭和四七年一〇月から、大尉以下にかかる者については昭和四八年一〇月一日から、それぞれ併給制限が徹廃されることになつた(国民年金法施行令五条の二第二項、同五条の三参照)ことは、国民年金法施行令改正の経過に徴して明らかであるが、これによつて生じたところの、一般の公的年金の支給を受けることができる者と戦争公務扶助料等の支給を受けることができる者との間の、老齢福祉年金の併給制限についての差別の程度と雖も、叙上説示したところによれば、少くとも、著しく不合理なものとはいい得ないものである。

(六) 以上のとおりであつて、増加非公死扶助料と、戦争公務扶助料等との同視ないしは戦争公務扶助料等の中に占める国家補償的部分の無視ないしその過少評価に立脚するものと認められる控訴人の前記主張は採用できない。

4  以上に説示したところによれば、一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定は憲法一四条に違反するものということはできず、従つてこれと反対の前提に立つて本件支給停止処分が無効であるとする控訴人の主張は理由がない。

三なお、仮りに、控訴人の主張の如く、国民年金法の一般の公的年金受給による老齢福祉年金の併給制限規定が憲法二五条一項又は同法一四条に違反し、従つて右併給制限規定を根拠としてなされた本件支給停止処分が違法であつたとしても、本件支給停止処分に存した右の違法が明白であつたとは到底認め難いので、所詮控訴人の右主張は失当なものである。

第三結論

以上のとおりであるから、爾余の判断をなすまでもなく、控訴人の本訴請求(当審で新たに拡張した請求を含む。)は、すべて失当であつて棄却を免れないものである。

よつて、控訴人の本訴請求(当審で新たに拡張した請求を除く。)を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないので、民訴法三八四条に則り本件控訴(当審で新たに拡張した請求を含む。)を棄却することとし、控訴費用の負担について、同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(宮崎富哉 塩崎勤 村田達生)

別紙、別表(一)、(二)、(三)、(四)<省略>

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